2019年7月12日(金)~7月15日(月・祝)、東京・渋谷ヒカリエにて「東京カメラ部2019写真展」が開催されました。開催期間中のイベントステージでは、人気フォトグラファー、写真業界関係者、歴代東京カメラ部10選、コンテスト入賞者などをお招きして、さまざまなテーマでトークショーが行われました。
7月13日(土)に行われた東京カメラ部特別企画では、東京カメラ部10選 柄木孝志氏、別所隆弘氏、浅岡省一氏にご登壇いただき、「“なんやかんや”活躍している10選の物語 ~最近の写真家事情~」というテーマでお話しいただきました。
東京カメラ部運営 塚崎(司会)「今年で東京カメラ部10選は7年目を迎え、多くの10選の方が誕生し、さまざまなジャンルで活躍をされています。そういう方々を目指していらっしゃる方がいることも認識していますので、今回は10選の中で活躍している方の中から3名にご登壇いただき、お話をお伺いしたいと思います。まずは別所さんです。写真をはじめたばかりの頃の写真もお持ちいただいています」
別所「ニコンのD800を買い、喜び勇んで近所で撮った写真です。ビデオ用三脚を使っているのでブレブレなんですよ。でもこれ、自分が通っていた小学校、中学校、高校が全て1枚の中に写っているんですよね。この場所から自分の目で眺めた時は、それらが見渡せる場所だなんて気付いてなかったんです。その時に、カメラって自分が気が付かなかったことに気づかせてくれるものだなと思いました」
別所「そこから半年後にはこの花火の写真を撮れたんです。この時はカメラに見合った三脚を使ったので、ブレもなく撮れました。この会場にいる方は、僕の最初に撮った写真より全然うまいと思います。ですから、本当に自信を持っていただきたいです」
別所「東京カメラ部さんと初めて繋がりができた写真です。この時はまだ東京カメラ部写真展の会場も小さくて、柱に飾ってもらっていた写真ですね。このとき、10選の方は僕にとっては雲の上の存在。写真を多くの人に見てもらうには10選にならないとダメだなと悟りました」
別所「そしてこの写真で10選に選んでいただきました。メタセコイアですが、レタッチで色をかなりいじっていたので批判的な意見もありました。でも、僕はこれで10選を取りまして、多くの人に写真を見てもらえるようになったんです」
別所「今でも毎日のようにインスタグラムでフィーチャーしてもらっている梅の写真ですね。延べ1億人以上の方に見ていただいているんじゃないでしょうか。海外の方の反応がとても良くて、海外の方に向けたポスターにもなっています。」
塚崎「東京カメラ部では10選の皆さまをサポートする活動もしており、使いたい機材がある場合、東京カメラ部が貸し出しの交渉をメーカーとすることもあります。これはそのような流れで撮られた1枚です」
別所「僕は写真を単に趣味だと思っていたのですが、この時期から少しずつ意識に変化が出てきました。いま僕はある大手企業のインスタグラムアカウントの写真を担当しているのですが、この写真をその企業の担当者が好きになってくださったことがきっかけだったんですね。それが3年後の案件に繋がっていきました」
塚崎「認知されない限り興味を持ってもらえません。ファンは全員が単純なファンではなく、企業の広報や宣伝部などもその中には混ざっていますからね」
別所「今年の写真展では高島市と長浜市がブースを出していますが、僕は自治体からの仕事も多いです。市の観光客を増やすような目的の写真を目指して撮る時は、このような写真を撮ります。この写真で観光客が2倍になったそうです」
別所「メタセコイアを上から撮ったドローンの写真です。これは『ナショナル・ジオグラフィック』のコンテストで2位を獲りました。前年は井上浩輝さんがキタキツネの写真で1位を取っていて、最近まで一緒に展示をしていた人が世界のトップになったことが僕は悔しくて、井上さんに『僕は来年獲りますよ』と宣言したら本当に獲れたんですね。でも1位じゃなかった。2位じゃダメですね。これは高島市のご担当者がとても気に入ってくださっていて、今回のステージでもこの1枚だけは入れて欲しいと要望してくださいました。こうやって喜んでいただける写真を撮ることはとても嬉しいこと。そしてドローンを飛ばす許可が取れるような立ち位置で活動できていることもありがたいですね」
別所「僕は小学校の時、よく授業が嫌で逃げ出していたんですが、逃げる先がここだったんです。写真家になった時に、ここをキレイに撮ってやろうと思って撮ったのがこの写真です」
別所「超望遠で花火を撮ってみました。今までなかったであろう視点の1枚かなと思います。このように、なかったものを残す、ということに対するこだわりの強さは、写真家であり、大学の教員でもあるという立ち位置だからこそかもしれません。一見すると両者は異なりますが、上の世代からのものを次世代に繋げていくということは共通しています。だから、どちらも好きな仕事で、今後も一方だけを選ぶつもりはないのです」
塚崎「続いて浅岡さんです。こういう写真を撮っていたんですね」
浅岡「今も撮りますが夜景と風景をメインにやっていました」
浅岡「全部我流でやっていて、現場の作り方も全然わからなくて、不安だったんですよね。その時に小澤忠恭先生と一緒に青森県に撮影をしに行く機会があり、その時になかなか良い撮り方じゃないかって言われて、自分がやっていたことが正しかったんだという自信を得ることができて、肩の荷が下りました。元々はプログラミングをやったり本を書いたりしていました。忠恭先生と写真展でお話しした時に、ポートレートは下手だけど夕景は見所あるなと言われて、じゃあその道でがんばってみようかなって。何を使えばどう撮れるかがわからなかったので、これは人を撮る機材だなと思うものは片っ端から試して、経験値を貯めていったという感じですね」
塚崎「アシスタントになろうとは思わなかったのですか?」
浅岡「人見知りが酷いので、これしか道がありませんでした。年齢的な問題もありましたし」
浅岡「これは台湾ですね。これもチャレンジというか行かざるをえなくなったというか。レンズの作例が必要だったんですがモデルがいなくて、僕のフェイスブックは台湾の人がいいね!をよく押してくれていたので、台湾行って撮るしかないと書いたら、台湾の人からすぐにメッセージが来ました。あれよあれよという間に台湾に行くことになり、モデルのオーディションをしてタクシーを2日間チャーターしてポートレートを撮りまくった時の写真です。それまでは、案件が来ても僕なら出来る気がする、というところで止まっていたんですよね。でもこの台湾は武者修行のような感じで、これ以降、どんな案件が来ても怖くなくなりました」
浅岡「台湾には日本代表のつもりで行っていたので、24時間ずっと写真を撮り続けていました。数時間おきに起きてストロボ用の電池を充電していて、後から電池買えば良かったと。そのくらい気合が入っていましたね。これが最初に富士フイルムさんのX写真展で選ばれた写真です」
塚崎「そのような経験を経て、今はこのような写真を撮られています」
浅岡「これは今年撮影した桜の写真です。ストロボを8灯くらい使っています」
塚崎「後ろからストロボを当てるという技術は浅岡さんから始まったと言っても過言ではないかもしれないですね」
浅岡「僕は写真を習っていないので、原則とか例外とかあまりなくとにかく試すんですよ。ストロボの位置も360度平等で、試す中で気付いた手法ですね」
浅岡「これは荒川でGFXを使って撮影した写真です」
浅岡「これは今回展示している写真の30分後くらいですね」
塚崎「こういう撮影をしながらメーカーや雑誌の撮影をされています。どのように活動の幅を広げていったのですか?」
浅岡「僕は人見知りで営業できないので、発表をしていくということが重要だったと思います」
塚崎「さて、3人目は柄木さんです」
柄木「さんにも必ず地元というものはありますよね。僕は15年前にIターンで大阪から鳥取に行きまして、そこから本格的に風景写真を撮り始めました。その時に感じたのは、地元の人ほど地元の魅力を見失ってしまっているということ。それが写真だと再発見できるんですよね。ちなみに、僕が星空を撮り始めた頃は、誰も星を撮る人はいなくて撮影のたびに職務質問を受けました。それだけ夜に写真を撮るという行為が当時は珍しかったし、撮る人もいなかった。そうした本来なかなか人が活動していない時間帯に外に出かけ撮影することを繰り返し、地元を中心にHPなどで発信していく。その積み重ねが今の私を創り上げています。写真にはそれだけの力がある。地元の価値であったものが身近にあり過ぎることで見失われていく。そのことを再発見してくれる力が写真にはあると私は信じているんです」
柄木「当時、ダイヤモンド富士は有名だったので、同じようにダイヤモンド大山も撮れるだろうと。それがスタート。今はアプリなどで調べることができますが、当時はそんなものもなく、写真もない。だから毎日のように早起きしては撮影に通い、データを取り日々『ダイヤモンド大山』というネーミングを付けて発信した。その蓄積がマップになり、そのマップが非常に大きな反響を得ることになる。本来カメラマンは情報を隠したがるのですが、なぜここまで公表するのか。そもそも僕は、写真家で有名になるという野心ではなく、どうすれば自分の暮らす鳥取というマイナーな地域を有名にできるか。伝えることができるか。そこが原点だったので、どちらかといえば知ってもらいたい。だからこそこのようなマップを作ることでより多くの人に足を運んでもらう。実はここがとっても大切。生の風景で得る感動に写真はなかなか叶わないからこそ、写真がそのきっかけでありたい。この気づきと行動こそが地域活性の根幹。外への発信も大切ですが、疲弊する地域においてインナーブランディングはさらに重要。そのきっかけを写真は与えてくれるんです 」
柄木「これは鳥取砂丘の虹。みなさんには信じていただけないかもしれませんが、実は私、虹が出るのがある程度予測できます。だから、この虹も前夜より「もしや」と砂丘に移動し、早朝出る位置を計算し、待って撮ったという流れになります。そもそも出る位置は科学的に計算できるので、後は何かの被写体に絡められるように自分が移動すればいい。そんなことができるようになったのも、足しげく通うことで地元を知り、身体で覚え、些細な変化に気づくようになったからこそ。常にですが、僕の写真の永遠のテーマは「風景を読む」ということ。そういう中で撮れた1枚だと思っています」
柄木「砂丘の皆さんのイメージは灼熱のイメージですが、私自身、砂丘が一番美しいと感じるのは夕暮れ。強風を予測して出かければ、風紋とあわせ、このような神秘的な風景に出会えます。これが撮影できるのもまさに『風景を読む』チカラ。経験と気づきがなせる一枚です」
柄木「私の人生を変えた一枚。それは2013年の東京カメラ部10選に選んでいただいたこの写真。タイトルは『魔法使い』。山の中腹、一人の女性が月を指さし立っている様子が魔法のランプのように見えることからそう名付けました。選んでいただいた後、まさにいろんな意味で人生が急変。外の評価と内側の感情の変化。この2つにより私自身新たな道へと進むきっかけが生まれました。今後写真家を目指すみなさんにぜひとも申し上げたいのは、写真でどこを目指すのか。趣味なのか、仕事なのか。アマなのかプロなのか。今回登壇したこの3人は、少なくとも本気で仕事にすることを選んだ。厳しい世界にも関わらず。ここでは長くなるのでお話しできませんが、その過程や行動、そうした道筋の部分をぜひみなさんには知ってもらいたいなと。心からそう思いますし、私たちはそうしたみなさんを応援できるように日々頑張っています」
塚崎「そして今撮られているのがこのような写真です」
柄木「真っ青な海を走る、JR西日本が運行するクルーズトレイン「Twilight Express瑞風」。ありがたいことに、今、JR西日本さんのお仕事をたくさんさせていただいているのですが、今回ご縁があり、ゴールドスポンサーになっていただいたことで、会場の入り口に巨大なパネルとして飾っていただいています。仕事としてやっていくということは、安定的に仕事もしなくてはいけません。大きな仕事もしないといけません。そういう意味でもこうした誰もが知る企業やメーカーとの仕事はなくてはならないものです。そしてそれが実績にもなり武器にもなる。この一枚をはじめ、実はこの列車を私は仕事として2年間追いかけてきたのですが、ご存知の通り私は鉄道写真家ではなく、風景写真家。にもかかわらずこのような大役に指名いただいたのは、山陰山陽の風景のなかを走る瑞風を撮ってほしいという視点から。そこを自由に表現させていただいたのは写真家冥利に尽きます。ちなみにこの一枚は、世界鉄道連合(UIC)という世界の鉄道会社200社が参加している組織主催の企業単位で応募する写真コンテストで見事グランプリに。もちろん写真家として名誉だったことはもちろんですが、それ以上にうれしかったのは、今回のお仕事をいただいたJR西日本さんがとても喜んでくれたこと。写真家にとってクライアントの喜びや幸せこそが評価の証であり、達成感。まさに写真のチカラでみなさまお役に立てているんだと実感しました」
塚崎「JR西日本で撮ることになった経緯は?」
柄木「元々、僕が長年撮り続けてきた山陰の風景をJR西日本の上層部の方が見てくださっていて、この世界観でJR西日本が取り扱う媒体の撮影をしってもらったらということで声をかけていただいたのだと思います」
塚崎「今現在は要職にない方でも、いずれは出世をして決裁権を持つことがあります。すぐに発見されなくても、発表し続けることは大切だと思います」
柄木「この裏側にすごいドラマがあります。このひまわりは瑞風のおもてなしのためにと地元の有志の方が植えたんですが、それを私がたまたま作品として残したんですね。そしたらそれが地元の有名な雑誌の見開きで紹介されたこともあり大きなブームに。そのことを地元の方がすごく喜んでくださって、1年だけのはずの話が以後数年続いていくことになりました。地域の中で写真がきっかけとなり、おもてなしをする方もされる方も意識が変わっていったという例です。実はこの隣にパン屋さんがあるのですが、この場所に人が来ることで売り上げも急増。地元にお金が落ちると、地元が潤い、それに続く人たちが増える。そうすると行政がそこに参加して町が飛躍的に発展します。私は常日頃から写真というツールはただ発信し人を呼ぶだけでは地域は潤わないと言い続けてきました。要は、それを生かし、地元の産業に発展しない限りは活性化することはありえないんです。そのためにも地元の民間人をしっかりと巻き込む町あげての取り組み。そうした活動にまでしっかりと取り組まなければ、写真は単なる発信ツールで終わってしまう。そうならないためにも写真を通じた地元の意識の改革が喫緊に必要だと実感しています」
柄木「鳥取県をはじめとして今まで10以上の自治体をコンサルティングしてきました。地元主導で数年後に産業化するまでをお手伝いしているのですが、これは北海道の別海町という道東の町。その一角に野付半島という場所があるのですが、ここは人は来るもののあまりお金が落ちる仕組みがなかったため、ツアーという切り口で観光振興・産業構築のお手伝いをさせていただきました」
柄木「野付半島の内側、野付湾は冬場マイナス20度くらいに気温が下がるため海が凍ります。地元の方にいろいろヒアリングしていると、実はその上を歩くことができると聞かされました。それでも地元の人はそれを資源だとは考えていませんでした。ただ、これまでの経験値で、これは話題になると考え、海の上を歩くという体験を軸に、そこにトリックフォトなどのアクティビティを組み込みながらのツアーを造成。これが見事に当たりました。元々ツアー客がゼロだったエリアに、初年度が800人、次年度は2000人、そして今やツアーが実施できる約2ヶ月で4000~5000人が参加。当初は観光庁の助成事業で実施していたのですが、その年の日本一になったことでメジャーになると同時にモデルケースとしての視察も急増。以後、ガイドの育成などにも力を入れ、今でも安定的にツアーが実施されています」
柄木「これは地元の大山で、私が携わった事業からの一枚。お盆の時期に開催される『大山の大献灯』という催し。元々、参道に絵灯篭を飾るという大山の夏の伝統だったのですが集客が振るわず、地元の大山観光局とのヒアリングのなかで、地元で活動する女性職人による和傘を使ってみてはどうかとの提案を受けいれていただいたことで実現したのが現在の形。これが見事に当たり、現在では開催3日間で1万人にご来場いただくまでに発展し、夜のイベントゆえ宿泊の稼働率もアップ。こうして地元に収益を還元することで地元の協力を取り付け、大きな経済効果と町の意識改革を並行して行うことができたのです。今現在全国で和傘のイベントが増えていますが、実はこの大山がそのパイオニア。なぜここまでの評価を得たかというと、ここにも「写真」というツールが大きく関係しています。写真家の目線で、どうすればキレイに見えるか、どうすれば光のバランスがいいか、そしてどうすればスマホでもキレイに撮影できるか。そこを徹底的に工夫したのです。そうすると来場されたみなさんはその様子をSNSでアップしてくれる。そして人が人を呼ぶ。そうした口コミによる広がりが我々のような地域には欠かせない。そんな小さな地域のイベントに昨年は皇室もお見えになりさらなる品格も備わりました。それがまた地域の自信になり誇りになる。この継続によりそれがやがては文化となって地元の手で守られていけば、その地域の財産は永遠に地元の人たちのチカラで守られていくことになるのです」
塚崎「近年は農業も生産だけでなく、加工と販売までを手がける6次産業化が進んでいます。写真においても同じような取り組みも可能ではないかと思います。どこまでやるかは人それぞれですが、こういう道もあるんだと。投資、出会いなど、チャンスを自分で作り事業にすることができると思うんです。3名の方はそれぞれの道筋で今の取り組みへと繋げています。ぜひ皆さんも、この3名の方の取り組みを参考にしていただきたいと思います」