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Takahiro Bessho

10選2014

滋賀県大津市在住。5年前に3回に1回、必ずシャッターの「切れない」半壊の一眼レフを中古で購入し、カメラと写真の歯がゆい面白さに目覚めました。本格的に撮影を始めたのは3年前に現在のカメラを購入してからで、高額な機材を買ったのに使わないのはもったいないと思って色々歩くうちに、あれよあれよと本格的な撮影にのめり込むことになりました。

私にとって、写真とは常に何かと何かの混じりあいの結果として現れるようです。光と闇、現実と幻想、技術と天運、そして何よりも人と自然。私は主に滋賀と京都の風景を撮っていますが、カメラを持って自然を前にしたとき、私という一人の人間はその風景との対話をはじめます。どのような構図を取るのか、どのような光を入れるのか、どこを見せ、どこを隠すのか。そのような無言の対話の後に生まれてくる写真は、それぞれが一枚一枚、自然と人間との混合物であるように思います。

そのような私の態度のために、選ばれる被写体もまた何かと何かの混じり合いとしてこの世界に表れ、残されたものになるようです。例えばそれは、湖の上に明るく映える花火、あるいは青空を覆うように頭上を飛んで行く飛行機、あるいはわずか数時間の間だけ見ることができる、車と落ち葉が作り出す消失点まで伸びて行くストライプカラー。自然だけでも、また人間だけでも作り得ない、自然と人間の互いの触発と混じりあいが生み出す光景に私は惹かれるようです。

そしてそれは、カメラの原点への興味として収束していきます。光を捉える芸術としての写真撮影は、徹頭徹尾、光との対話です。量子力学が明らかにしたように、光の「位置」と「速度」を我々は決して同時に知ることは出来ません。我々がカメラの中に捉えた光は、我々の観測の結果としてその場所に「発生」した、この宇宙開闢以来、たった一回きりの現象です。我々は撮影者=観測者として、「位置」と「速度」のその中間点の部分で、それらが混じりあう瞬間の像を、世界から取り出します。そう、やはりこれもまた「混合物」なのです。光の位置と速度の、あるいは必然性と偶然性との。あるいは捉えられた光と、逃れて行った闇との。

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